救急車を呼ぶと心臓マッサージが始まります——望まない蘇生を避けるために知っておくこと

「最期は、穏やかに迎えさせてあげたい」——人生の最終段階にあるご家族について、そう願う方は少なくありません。 ところが、実際の場面では、その願いとは正反対のことが起きてしまうことがあります。容態が急変したとき、ご家族が動転して救急車を呼んだ結果、本人が望んでいなかった心臓マッサージ(胸骨圧迫)が行われてしまう——というケースです。 この記事では、緩和ケアに携わる医師の立場から、 なぜ「救急車を呼ぶ」と蘇生が始まるのか 望まない蘇生を避けるために、何を準備すればよいのか を、できるだけ分かりやすく整理します。知っているかどうかで、最期のかたちが大きく変わる大切な内容です。 1. 119番通報をすると、何が始まるのか まず知っておいていただきたい大前提があります。 救急隊は、通報を受けた時点では「救命を望んでいる人」として、全力で救命にあたります。 これは全国共通のルールです。救急隊が現場に到着して心肺停止を確認したら、原則として直ちに心臓マッサージ(胸骨圧迫)を開始します。 つまり、119番に電話をかけた時点で、救命のプロセスが動き出すということです。「呼んだけれど、やっぱり何もしないでほしい」は、その場の口頭ではすぐには通りません。 2. 「蘇生を中止する仕組み」は広がっているが、限界がある 近年、各地の消防本部や救急医療協議会で、「本人が望まない場合は心肺蘇生を中止できる」仕組みが整えられつつあります。全国の多くの地域で、こうした運用が始まっています。 ただし、この仕組みには重要な条件と順序があります。おおむね共通しているのは次の流れです。 ご家族が「本人は蘇生を望んでいない」と救急隊に伝える 救急隊が**「かかりつけ医(主治医)の指示書」**の提示を求める 救急隊が主治医に連絡し、中止の指示を確認する 指示が確認でき、家族の同意があって初めて中止できる ここで決定的に重要なのは—— ②③のプロセスが完了するまでは、心臓マッサージは続けられる ということです。つまり、たとえ蘇生中止の仕組みがある地域でも、「主治医に連絡がつき、中止の指示が出るまでの間」は胸骨圧迫が行われます。主治医に連絡がつかなければ、蘇生を続けたまま病院へ搬送されます。 → 「一度も胸骨圧迫をされたくない」という願いは、この仕組みだけでは叶えられないのです。 3. だから「どこまで望まないか」で準備が変わる ここが、この記事で最もお伝えしたいポイントです。望まないレベルによって、必要な準備がまったく異なります。 望まないレベル 必要な体制 急変時の動き 胸骨圧迫すら、一切してほしくない 訪問診療+訪問看護による在宅での看取り体制(または施設の看取り体制) 救急車を呼ばない。かかりつけの訪問診療医・訪問看護に連絡する 万一救急要請しても、蘇生は止めてほしい **「心肺蘇生に関する医師の指示書」**を本人が用意しておく+主治医の連絡先を明記 119後、いったん蘇生が始まる→指示書提示→主治医連絡→中止 ポイント①:一切望まないなら「救急車を呼ばない」体制 胸骨圧迫を一度もされたくないのであれば、そもそも119番を呼ばないことが唯一の方法です。そのためには、急変しても自宅(または施設)で対応できる体制——具体的には訪問診療医と、24時間対応の訪問看護——を、元気なうちから整えておく必要があります。 外来通院だけでは、夜間や急変時に「呼べる相手」が救急車しかなくなりがちです。「穏やかな最期」を本気で望むなら、在宅医療への移行を早めに検討することが現実的な答えになります。 ポイント②:万一に備えるなら「書面」を用意 在宅看取りを選んでいても、あるいは外来通院中でも、**「心肺蘇生に関する医師の指示書」**を本人が持っておくと、万一救急要請してしまった場合に蘇生を止められる可能性が高まります。 このとき極めて重要なのが、指示書に書く**主治医の「時間外の連絡先」**です。先述のとおり、救急隊は主治医に連絡が取れなければ蘇生を継続します。夜間・休日でもつながる連絡先が書かれていてこそ、この書面は機能します。 4. 最大の落とし穴——夜中に、家族が反射的に119してしまう 在宅での看取りを家族で決めていても、現場では繰り返しこういうことが起きます。 夜中に呼吸が止まったのを見て、ご家族が動転し、反射的に救急車を呼んでしまう 頭では「穏やかに見送る」と決めていても、いざその瞬間が来ると、人は冷静ではいられません。これは責められることではなく、準備でしか防げないことです。 家族で備えておくこと 急変時はまず「訪問診療医・訪問看護」に電話すると全員で共有しておく その連絡先を、電話のそば・冷蔵庫など目立つ場所に大きく貼っておく 訪問看護が24時間対応であることを確認しておく 「救急車を呼ぶ=心臓マッサージが始まる」ことを、家族全員が理解しておく この準備があるかないかで、最期のかたちは大きく変わります。 5. すべての出発点は「話し合い(ACP・人生会議)」 ここまでの準備は、すべて本人と家族、医療者が、前もって話し合っておくことから始まります。これを ACP(アドバンス・ケア・プランニング/愛称「人生会議」) と呼びます。 本人がどこで、どのように最期を迎えたいか どこまでの医療を望み、どこからは望まないか 急変したとき、誰に連絡するか ——こうしたことを、元気なうちに、繰り返し話し合っておく。そして必要に応じて書面に残しておく。これが、望むかたちの最期を実現するための、いちばん確実な備えです。 「縁起でもない」と先延ばしにされがちですが、話し合っていなかったために、本人の望まない蘇生が行われてしまうことのほうが、ずっとつらい結果を生みます。 6. まとめ ポイント 内容 119番通報の意味 救急隊は救命前提で動く。心肺停止なら直ちに胸骨圧迫が始まる 蘇生中止の仕組み 各地で広がるが、主治医に連絡がつき中止指示が出るまで蘇生は継続 一切望まないなら 救急車を呼ばない=在宅/施設の看取り体制(訪問診療+24時間訪問看護) 万一に備えるなら 医師の指示書+主治医の時間外連絡先を用意 最大の落とし穴 夜間に家族が反射的に119。連絡先掲示と家族教育で防ぐ 出発点 ACP(人生会議)——元気なうちに話し合い、書面に残す 「最期は穏やかに」という願いは、ただ願うだけでは叶いません。仕組みを知り、体制を整え、家族で共有しておくこと——その準備があって初めて実現します。 ...

June 2, 2026 · 1 min

人生会議(ACP)とは——「もしものとき」を話し合うことが、なぜ大切なのか

「もしものときのことを家族と話したことがない」——診察室でそうおっしゃる患者さんは、とても多いです。 話し合わないのは、避けているわけではなく、「どう切り出せばいいか分からない」「家族を心配させたくない」という気持ちからであることがほとんどです。 この記事では、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)、日本語で「人生会議」とも呼ばれるこの取り組みについて、緩和ケア医として診療現場で感じていることも交えながら解説します。 1. ACPとは何か ACP(Advance Care Planning)とは、将来、自分が意思表示できなくなったときに備えて、どのような医療・ケアを受けたいかを、前もって考え、周囲と話し合っておくプロセスのことです。 「延命治療をどうするか」という話だけではありません。 最期はどこで過ごしたいか(自宅?病院?ホスピス?) どんなことを大切にして生きてきたか 辛いことに対してどこまで頑張りたいか 家族や医療者に何を伝えておきたいか こういった「自分の価値観や希望」を整理して、信頼できる人と共有しておくことが、ACPの本質です。 参考情報源:厚生労働省「人生会議(ACP)について」(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02783.html) 2. なぜ話し合っておく必要があるのか 緩和ケアの現場で大切にしている「4つの情報」 緩和ケアの場では、治療方針を決めるときに、次の4つの情報を整理して考えます。 情報 内容 ① 本人の希望(最も大切) どう生きたいか、何を大切にしているか ② 家族の希望 大切な人はどう思っているか ③ 病状・身体の状態 医学的に何が可能か ④ 医療制度・病院の状況 利用できる環境・資源は何か このなかで**最も大切にしているのが「本人の希望」**です。 ところが、病気が進行すると意識が低下したり、言葉で伝えることが難しくなる時期が来ることがあります。そのとき、「本人の希望」を誰も知らないまま、残りの3つの情報だけで方針を決めることになってしまいます。 医療者も家族も、「これで良かったのか」という後悔が残ることがあります。 事前に話し合っていないと…… ある患者さんのご家族が、こうおっしゃっていました。 「最期に延命処置を止める決断をしたとき、それが本人の望みだったのか、今でも分かりません。もっと話し合っておけばよかった」 逆に、事前に話し合っていたケースでは—— 「本人が『なるべく自然に逝きたい』と言っていたので、迷わず在宅を選べました。家族みんな、後悔していません」 この違いは、「話し合いがあったかどうか」だけで生まれます。 「人生会議」が社会に広まるまでの道のり 2019年、厚生労働省がACPの普及を目的としてお笑い芸人の小籔千豊さんを起用したポスターを作成しました。酸素チューブをつけてベッドに横たわる姿が描かれたそのポスターは、「闘病中の患者に怖いイメージを与える」と患者団体などから抗議を受け、配布翌日に撤回されるという異例の事態になりました。 炎上したこと自体は残念でしたが、この出来事をきっかけに「人生会議」という言葉と概念が広く知られるようになりました。「どんな形で伝えるか」は難しい問題ですが、話し合いの大切さ自体は変わりません。 3. 「エンディングノート」と何が違うの? エンディングノートは「書いておくもの」ですが、ACPは**「話し合うプロセス」**です。 書いて終わりではなく、定期的に見直したり、状況が変わったら更新したりすることが大切です。また、ノートに書いた内容を家族や主治医と共有しておくことで、はじめて意味を持ちます。 エンディングノートも有用なツールですが、それを使って話し合いのきっかけにするのがACPの考え方です。 4. いつ始めればいいのか 「まだ元気だから」「病気が確定してから」と後回しにしがちですが、元気なうちに考えるのが理想です。 理由は2つあります。 元気なときのほうが、自分の価値観を冷静に整理できる 具合が悪くなってからでは、話し合いを始めにくくなる がんと診断されたとき、治療の方針を決めるとき、再発したとき——こういった「節目」に少しずつ話し合っておくのが現実的です。一度で全部決める必要はありません。 5. 何を、誰と話し合えばいいのか 話し合う相手 家族・パートナー 信頼できる友人 主治医・担当看護師 全員と一度に話す必要はありません。まず家族と少し話してみる、次に主治医に伝える、という順番で十分です。 話し合う内容(例) テーマ 具体的な問い 過ごす場所 最期はどこにいたいか(自宅・病院・ホスピス) 治療の希望 人工呼吸器・胃ろうなどをどこまで希望するか 大切にしたいこと 何を優先して生きたいか 代わりに決める人 意思表示できないときに誰に決めてほしいか すべてに答えなくても大丈夫です。「まだ分からない」という状態でも、話し合いを始めること自体に意味があります。 ...

April 28, 2026 · 1 min