「もしものときのことを家族と話したことがない」——診察室でそうおっしゃる患者さんは、とても多いです。
話し合わないのは、避けているわけではなく、「どう切り出せばいいか分からない」「家族を心配させたくない」という気持ちからであることがほとんどです。
この記事では、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)、日本語で「人生会議」とも呼ばれるこの取り組みについて、緩和ケア医として診療現場で感じていることも交えながら解説します。
1. ACPとは何か
ACP(Advance Care Planning)とは、将来、自分が意思表示できなくなったときに備えて、どのような医療・ケアを受けたいかを、前もって考え、周囲と話し合っておくプロセスのことです。
「延命治療をどうするか」という話だけではありません。
- 最期はどこで過ごしたいか(自宅?病院?ホスピス?)
- どんなことを大切にして生きてきたか
- 辛いことに対してどこまで頑張りたいか
- 家族や医療者に何を伝えておきたいか
こういった「自分の価値観や希望」を整理して、信頼できる人と共有しておくことが、ACPの本質です。
参考情報源:厚生労働省「人生会議(ACP)について」(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02783.html)
2. なぜ話し合っておく必要があるのか
緩和ケアの現場で大切にしている「4つの情報」
緩和ケアの場では、治療方針を決めるときに、次の4つの情報を整理して考えます。
| 情報 | 内容 |
|---|---|
| ① 本人の希望(最も大切) | どう生きたいか、何を大切にしているか |
| ② 家族の希望 | 大切な人はどう思っているか |
| ③ 病状・身体の状態 | 医学的に何が可能か |
| ④ 医療制度・病院の状況 | 利用できる環境・資源は何か |
このなかで**最も大切にしているのが「本人の希望」**です。
ところが、病気が進行すると意識が低下したり、言葉で伝えることが難しくなる時期が来ることがあります。そのとき、「本人の希望」を誰も知らないまま、残りの3つの情報だけで方針を決めることになってしまいます。
医療者も家族も、「これで良かったのか」という後悔が残ることがあります。
事前に話し合っていないと……
ある患者さんのご家族が、こうおっしゃっていました。
「最期に延命処置を止める決断をしたとき、それが本人の望みだったのか、今でも分かりません。もっと話し合っておけばよかった」
逆に、事前に話し合っていたケースでは——
「本人が『なるべく自然に逝きたい』と言っていたので、迷わず在宅を選べました。家族みんな、後悔していません」
この違いは、「話し合いがあったかどうか」だけで生まれます。
「人生会議」が社会に広まるまでの道のり
2019年、厚生労働省がACPの普及を目的としてお笑い芸人の小籔千豊さんを起用したポスターを作成しました。酸素チューブをつけてベッドに横たわる姿が描かれたそのポスターは、「闘病中の患者に怖いイメージを与える」と患者団体などから抗議を受け、配布翌日に撤回されるという異例の事態になりました。
炎上したこと自体は残念でしたが、この出来事をきっかけに「人生会議」という言葉と概念が広く知られるようになりました。「どんな形で伝えるか」は難しい問題ですが、話し合いの大切さ自体は変わりません。
3. 「エンディングノート」と何が違うの?
エンディングノートは「書いておくもの」ですが、ACPは**「話し合うプロセス」**です。
書いて終わりではなく、定期的に見直したり、状況が変わったら更新したりすることが大切です。また、ノートに書いた内容を家族や主治医と共有しておくことで、はじめて意味を持ちます。
エンディングノートも有用なツールですが、それを使って話し合いのきっかけにするのがACPの考え方です。
4. いつ始めればいいのか
「まだ元気だから」「病気が確定してから」と後回しにしがちですが、元気なうちに考えるのが理想です。
理由は2つあります。
- 元気なときのほうが、自分の価値観を冷静に整理できる
- 具合が悪くなってからでは、話し合いを始めにくくなる
がんと診断されたとき、治療の方針を決めるとき、再発したとき——こういった「節目」に少しずつ話し合っておくのが現実的です。一度で全部決める必要はありません。
5. 何を、誰と話し合えばいいのか
話し合う相手
- 家族・パートナー
- 信頼できる友人
- 主治医・担当看護師
全員と一度に話す必要はありません。まず家族と少し話してみる、次に主治医に伝える、という順番で十分です。
話し合う内容(例)
| テーマ | 具体的な問い |
|---|---|
| 過ごす場所 | 最期はどこにいたいか(自宅・病院・ホスピス) |
| 治療の希望 | 人工呼吸器・胃ろうなどをどこまで希望するか |
| 大切にしたいこと | 何を優先して生きたいか |
| 代わりに決める人 | 意思表示できないときに誰に決めてほしいか |
すべてに答えなくても大丈夫です。「まだ分からない」という状態でも、話し合いを始めること自体に意味があります。
6. 診察室での話し合いに気が引ける方へ
「先生に聞くのはためらわれる」という方も多いのですが、緩和ケアの現場では、こうした話し合いは日常的に行われています。
「今後のことについて、少し話し合いたいのですが」と切り出していただければ、医師・看護師・ソーシャルワーカーなど、チームで一緒に考えます。
また、「まだそういう話をしたくない」という気持ちも、大切な意思です。無理に進める必要はなく、「今は話したくない」と伝えること自体がACPの一部です。
まとめ
- **ACP(人生会議)**は、将来の医療・ケアについて前もって話し合うプロセス
- 延命治療の話だけでなく、自分の価値観・希望を共有することが本質
- 話し合っておくことで、本人も家族も後悔を減らせる
- 元気なうちに少しずつ始めるのが理想
- 「まだ分からない」でも、話し合いを始めること自体に意味がある
もし「どこから始めればいいか分からない」という方は、主治医や担当の看護師に「人生会議のことについて相談したい」と伝えてみてください。
筆者:田舎の県庁所在地に住む医師。外科学会専門医・乳癌学会認定医。現在は乳がんの検診・診断と緩和ケアを専門に担当。医師になって20年。