更年期のホルモン補充療法(HRT)は乳がんリスクを上げる?——45万人のデータをやさしく読む
更年期の不調(ほてり・発汗・不眠・気分の落ち込みなど)に対して、**ホルモン補充療法(HRT)**は、つらい症状をやわらげる有効な治療です。 一方で、こんな不安をよく耳にします。 「ホルモンの薬を使うと、乳がんになりやすくなるんじゃない?」 この不安はもっともです。そして2025年、この問いに答える過去最大級のデータ(世界で約45万人)が発表されました。この記事では、その結果を怖がりすぎず・軽く見すぎず、自分で判断できるように読み解きます。 ⚠️ この記事は一般的な情報提供です。HRTを始める・続ける・やめるの判断は、必ず婦人科の主治医とご相談ください。 まず、HRTには2つのタイプがある ここを分けて理解することが、いちばん大事です。 タイプ 主に使う人 なぜ エストロゲン単独療法 子宮を摘出した女性 子宮がないので女性ホルモン1種類でよい エストロゲン+黄体ホルモン併用療法 子宮がある女性 エストロゲン単独だと子宮体がんのリスクが上がるため、黄体ホルモンを足して子宮を守る この2タイプで、乳がんとの関係がはっきり違う——これが新しいデータの肝です。 45万人のデータが示したこと 北米・欧州・アジア・オーストラリアの大規模調査をまとめた研究(Lancet Oncology, 2025年)で、55歳未満の女性 約459,000人を追跡しました。結果はこうです。 エストロゲン単独療法:乳がんリスクはむしろ低下(ハザード比0.86) エストロゲン+黄体ホルモン併用療法:リスクがやや上昇し、特に2年を超える長期使用で統計的に有意な上昇(ハザード比1.18)。トリプルネガティブなど一部のタイプとの関連が強めでした 「ハザード比0.86」「1.18」と言われてもピンと来ないと思います。だから、**実際の人数(絶対値)**で見てみましょう。 いちばん大事なのは「絶対値」 このブログでくり返しお伝えしている考え方です。倍率(○倍)だけでなく、実際の割合(絶対値)を見ると、本当の大きさが分かります。 この研究で示された、55歳までに乳がんになる累積リスクは—— 55歳までに乳がんになる割合 HRTを使わない人 4.1% エストロゲン単独を使った人 3.6% 併用療法を使った人 4.5% いかがでしょうか。いちばん差がある「使わない人」と「併用療法」でも、4.1%と4.5%。その差は0.4ポイントです。 「併用でリスク上昇」と聞くと不安になりますが、絶対値で見ると差は決して大きくない。逆に、エストロゲン単独はむしろ低い。これが、数字を正しく読むということです。 専門学会も「軽度のリスク」と位置づけている この結果は、日本の専門家の評価とも一致しています。 日本乳癌学会の診療ガイドラインでは、併用療法による乳がんリスクを**相対リスク1.1〜2.0の「軽度なリスク因子」**と位置づけ、飲酒や運動不足などと同じカテゴリーとしています(乳癌診療ガイドライン2022年版 CQ2|日本乳癌学会)。 つまり、HRTの乳がんリスクは「ゼロではないが、生活習慣のリスクと同じくらいの大きさ」。過度に恐れる必要はないし、かといって無視もしない——そのあいだの、冷静な距離感が適切です。 では、どう考えればいいか ① 更年期症状のつらさと、てんびんにかける HRTは、つらい更年期症状をやわらげ、生活の質を取り戻す治療です。わずかなリスクと、得られる楽さ。その両方を見て決めるものです。 ② 子宮の有無でタイプが変わる 子宮を摘出した方はエストロゲン単独(むしろリスク低め)、子宮のある方は併用が基本です。「併用だから危険」ではなく、子宮を守るために必要だから併用しているのです。 ③ 長く使うときは定期的に見直す 併用療法は長期(特に数年以上)でリスクがやや上がるので、「いつまで・どのくらい」を主治医と定期的に相談しましょう。そしてHRT中も乳がん検診はきちんと受けてください。 ④ 最後は婦人科の主治医と決める ここに書いたのは一般論です。あなたの体質・家族歴・症状の重さによって、最適な選択は変わります。 まとめ HRTにはエストロゲン単独(子宮摘出後)と併用療法(子宮がある人)の2タイプがあり、乳がんとの関係が違う 45万人のデータ:エストロゲン単独はむしろリスク低下、併用は長期使用でやや上昇 ただし絶対値の差は小さい(55歳までの累積:使わない4.1%/単独3.6%/併用4.5%) 専門学会も「飲酒・運動不足と同じくらいの軽度なリスク」と位置づけ 更年期症状の楽さとてんびんにかけ、婦人科の主治医と相談して決める。HRT中も検診は続ける 「ホルモンの薬は怖い」と一律に避けてしまうと、つらい更年期を耐えるだけになってしまうかもしれません。正しく数字を知れば、必要以上に怖がらずに済みます。 それが、自分の体を自分で守る第一歩です。 ※本記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療方針を示すものではありません。HRTの可否は必ず婦人科の主治医にご相談ください。本記事は2026年6月時点の情報に基づいています。 関連記事 乳がん検診は何歳から受ければいい? 「より強い治療」がいつも正解とは限らない——臨床試験の数字を自分にどう当てはめるか 参考 Hormone therapy use and young-onset breast cancer: a pooled analysis(Premenopausal Breast Cancer Collaborative Group)|Lancet Oncology 2025 乳癌診療ガイドライン2022年版 CQ2「閉経後女性ホルモン補充療法(HRT)は乳癌発症リスクを増加させるか?」|日本乳癌学会 更年期障害に対するホルモン補充療法(HRT)|日本産婦人科医会 筆者:田舎の県庁所在地に住む医師。外科学会専門医・乳癌学会認定医。現在は乳がんの検診・診断と緩和ケアを専門に担当。医師になって20年。 ...