上司に言われて作る学会のスライド。研修医の指導。誰も手当の話をしない委員会。終業時刻を過ぎてから書くサマリ。

医師として働いていると、「これは割に合わない」と感じる場面があります。それでも多くの医師は、口に出さずに続けています。「勉強になるから」「医師ならみんなやっているから」と、自分を納得させながら。

この記事は、その「割に合わない」の中身を、感情ではなく物差しで見てみようという話です。物差しは、厚生労働省がすでに出しています。そして、その物差しで測ると、多くの職場で起きているのは「基準が曖昧」なことではなく、「基準どおりに運用されていない」ことだと見えてきます。

筆者は医師20年目で、労務の専門家ではありません。ここに書く通達の読み方は、原文を読んだうえでの筆者の理解です。自分の職場での扱いは、勤務先の規程や、必要なら社会保険労務士・労働基準監督署に確かめてください。


結論:線を引くのは「指示があったかどうか」

場面 労働時間か
所定労働時間内に、院内で行う研鑽 労働時間
時間外でも、上司の明示・黙示の指示で行う研鑽 労働時間
やらないと制裁などの不利益がある、または業務上必須の研鑽 労働時間
診療の準備・後処理として不可欠なもの 労働時間
時間外に、自由な意思で、自ら申し出て、指示なく行う研鑽 一般的に労働時間ではない

出典:厚生労働省労働基準局長通達「医師の研鑽に係る労働時間に関する考え方について」(令和元年7月1日 基発0701第9号)(厚生労働省 資料PDF)

「自己研鑽」という言葉で片づけられている仕事の多くは、この表の上の4行のどれかに入ります。


1. 7割の勤務医が「自己研鑽扱いだが、実際は労働」を経験している

2026年6月に、20〜40代の勤務医752人を対象にした調査がありました(医師向け媒体による調査。世論調査ではありません)。「自己研鑽として扱われているが、実際は労働だと思うものがあるか」という問いに、「ある」と答えた人の割合は次のとおりです。

区分 「ある」と答えた割合
全体 71%
大学病院 81%
民間病院 62%(最も低い)

若い世代ほど割合が高く、40代では7割を下回っていました。

何が「自己研鑽」にされているかという自由回答には、こんなものが並んでいました。

  • 上からの指示で作る、部下の論文や学会発表の対応
  • 発表を割り当てられた学会のスライド作り
  • 研修医や大学院生の指導
  • 看護師向けの講習の資料作り
  • 手術前の準備(画像の確認、必要物品の下調べや発注)
  • 書類やサマリの作成
  • 決められた時刻より早く来ること

この一覧を、冒頭の表と見比べてみてください。


2. 通達の物差しで測ると、ほとんどは「労働時間」側に入る

2019年に出た厚生労働省の通達は、医師の研鑽を3つの類型に分けて、どこからが労働時間かを示しています。

1. 診療のための新しい知識・技能の勉強(ガイドライン、新しい治療法や新薬、自分が術者の手術の予習や振り返りなど) → 自由な意思で、時間外に、自ら申し出て、指示なく行うなら一般的に労働時間ではない。ただし、診療の準備や後処理として不可欠なものは労働時間。

2. 学位・専門医のための研究や論文、学会発表(学会や勉強会の発表準備、症例報告、論文執筆など) → 上司や先輩から「奨励」されているだけなら、自由な意思で行う限り一般的に労働時間ではない。ただし、やらないと制裁などの不利益がある場合、業務上必須の場合、上司が明示・黙示に指示して行わせる場合は労働時間。

3. 手術の見学 → 自由な見学なら一般的に労働時間ではない。ただし、見学中に診療をした時間は労働時間。見学中に診療するのが当たり前になっているなら、見学の時間すべてが労働時間。

自由回答の一覧に当てはめると、こうなります。

自己研鑽にされているもの 通達の物差し 筆者の読み
指示されて作る部下の論文・発表の対応 上司の指示による 労働時間
割り当てられた学会発表のスライド 個人に割り当て=指示 労働時間
研修医・大学院生の指導 そもそも研鑽ではなく業務 労働時間
手術前の画像確認・物品の準備 診療の準備として不可欠 労働時間
書類・サマリの作成 診療の後処理 労働時間

通達は「自由参加の院内勉強会」や「学会発表が医療機関に割り当てられているが、医師個人への割り当てはない」場合を、自由な意思による研鑽の例として挙げています。裏を返すと、個人に割り当てられた発表は、この例には当たりません。

基準は、思っているよりずっとはっきりしています。


3. それでも運用されない理由

基準がはっきりしているのに、なぜ7割の医師が「労働なのに自己研鑽扱い」を経験しているのでしょうか。

研鑽と業務が切り離しにくい

調査の自由回答に、核心を突いた一文がありました。趣旨は「スキルアップは本人のためでもあるが、その延長線上には病院の利益があるので切り離せない」というものです。

学会発表は自分の業績にもなります。指導は自分の勉強にもなります。だから「自分のためでしょう」と言われると、言い返しにくい。この「本人のためでもある」という部分が、運用をあいまいにする隙間になっています。

申告そのものが実態に合っていない

同じ調査では、時間外労働の申告が「実態に即している」と答えた人は65%でした。大学病院では、**46%が「即していない」**と答えています。

自由回答には、多く申告すると扱いにくい人と見られる、申告は定時どおりに書くよう注意される、呼び出しで時間外に入れるのは手術室に入ってから(それまでの画像確認や説明、人集めは含まれない)、といった声がありました。

研鑽の線引き以前に、時間そのものが記録されていない職場がある、ということです。

委員会は「手当なし」が当たり前になっている

医師向け媒体の質問コーナーで委員会の手当について尋ねた投稿には、委員会に所属すること自体に手当が付く病院はほとんどないという回答が並んでいました。「役職手当に含まれている」という理解が多く、時間外に及んだ分を時間外として申請するのが唯一の受け皿です。

不満の中身は、金額よりも不公平感でした。いくつも兼務する人と、ほとんど持たない人がいる。管理職は時間外も付かない。印象に残ったのは「委員会が増えているのに臨床も若手と同じだけやっているなら、それは業務配分の問題。個人の頑張りで解決せず、管理職に報告すべき」という回答です。


4. 個人でできること

構造の問題を、個人で全部解決することはできません。それでも、できることはあります。

① 自分の「自己研鑽」を、物差しで仕分けてみる

この1か月に時間外でやったことを書き出して、冒頭の表に当てはめてみてください。「指示された」「やらないと困る」「診療の準備・後処理」のどれかに当たるものは、通達の物差しでは労働時間です。

仕分けたからといって、すぐに申告を変えられるとは限りません。ただ、自分が何を無償で差し出しているかが見えるだけで、次の判断が変わります。

② 職場の「申し出」の手続きを確かめる

通達は、医療機関が取り組むべきこととして、労働に当たらない研鑽をするときは医師が自分から上司に申し出て、上司と確認する手続きを設けることなどを挙げています。確認する中身は、本来業務やその準備・後処理ではないこと、やらなくても不利益がないこと、上司が指示していないこと、です。

裏を返すと、この確認がないまま「自己研鑽」として処理されている時間は、物差しに照らして一度見直す余地があるということです。自分の職場にこの手続きがあるかどうかは、確かめておいて損はありません。

③ 手当のない仕事は、選んで引き受ける

委員会や院内の係のように、手当がつかず、内容も自分の診療や職場の課題に直結しない仕事は少なくありません。それを頼まれるまま全部引き受けていると、時間はいつまでも足りません。

全部を断る必要はありません。引き受けるものを選び、選んだ理由を説明できるようにしておく。それだけで、「なんとなく全部引き受けて、なんとなく消耗する」状態からは抜けられます。前の章で紹介した回答のように、負担が偏っているなら、個人で抱え込まずに業務配分の問題として上に伝えることもできます。

これは協調性の問題ではなく、7割の医師が直面している構造に対する、ひとつの合理的な対処だと考えています。

④ 「いつでも減らせる」状態を、お金の面から作っておく

「割に合わない」と感じても続けてしまう理由のひとつは、やめる・減らすという選択肢が、お金の面で現実的でないことです。住宅ローン、教育費、生活水準。これがある限り、割に合わなくても続けるしかありません。

筆者は、いずれ常勤をやめて、1か所で週の勤務時間を減らして働く形に移ることを考えています。そのために、生活費がいくらで、資産がどれだけあれば取り崩さずに暮らせるかを計算しました。

計算してみて分かったのは、選択肢が手元にあると、今の仕事との向き合い方が変わるということです。続けるにしても「続けるしかない」から「続けることを選んでいる」に変わる。割に合わないことを断る判断も、しやすくなります。

勤務時間をどこまで減らすかで、社会保険の扱いや税金が変わります。減らし方を決める前に、制度は必ず調べてください。働き方改革で外勤が減った若手の家計については、医師の働き方改革で「外勤が消えた」——若手医師の減収と、どう向き合うかに書きました。


5. 組織が変えた例もある

個人の対処だけでなく、組織が仕組みを変えた例もあります。

ある大学の外科では、疲弊した若手の「この生活が一生続くのか」「後輩に勧められない」という声をきっかけに、主治医制からチーム制に切り替え、土日を当番制にしたそうです。導入直後は賛成が半数に届かなかったものの、しばらくすると大多数が賛成に変わったと、医師向け媒体のインタビューで語られていました。

「個人が耐える」から「組織が仕組みを変える」へ。割に合わないと感じている医師が声を上げることは、わがままではなく、こうした変化の出発点になりえます。


おわりに

割に合わないと感じるのは、怠けているからでも、医師に向いていないからでもありません。物差しと運用のずれに、気づいているからです。

物差しは、すでにあります。まず自分の時間を物差しで測ってみる。手当のない仕事は選ぶ。そして、いつでも減らせる状態をお金の面から作っておく。そうすれば、続けるにしても、自分で選んで続けられるようになります。