「これ以上、抗がん剤の治療はおすすめできません」——担当医からそう告げられたとき、多くの患者さんとご家族が動揺します。「もう何もしてもらえないのか」「見放された」と感じる方も少なくありません。
でも、それは大きな誤解です。「抗がん剤治療を続けない」という選択は、「何もしない」という意味ではありません。そこには BSC(最善支持療法) という、立派な医療があります。
この記事では、BSCの本当の意味と、その選択が持つ価値について解説します。
1. BSCとは何か
BSCは Best Supportive Care(最善支持療法) の略です。
- がんを治すことや進行を遅らせることを目的とする「抗がん治療」を行わない
- その代わりに、つらい症状を和らげることに全力を注ぐ
- 患者さんがその人らしい生活を続けられるようにサポートする
つまり、BSCは「治療しないこと」ではなく、目的を変える治療です。
2. なぜBSCが選ばれるのか
抗がん剤治療を続けないという判断には、医学的な根拠があります。
① 治療効果が期待できなくなった
何種類かの抗がん剤を使っても効かなくなり、これ以上の薬物療法ではがんを抑えられないと判断される場合。
② 副作用のデメリットが利益を上回る
抗がん剤の副作用で体力が落ちすぎている、または続けることでかえって寿命が短くなる可能性がある場合。
③ 患者さん自身が望まない
副作用で苦しむより、残された時間を自分らしく過ごしたいと考える患者さんの選択。
これらは、医師が「諦めた」のではなく、**「これ以上の抗がん治療は害が利益を上回る」**と冷静に判断した結果です。
参考情報源:国立がん研究センター がん情報サービス「もしも、がんが再発したら[患者必携]本人と家族に伝えたいこと」(https://ganjoho.jp/public/qa_links/book/public/saihatsu.html)
3. BSCで実際に行われていること
「治療しない」という言葉とは裏腹に、BSCではさまざまな医療が積極的に行われます。
| 領域 | 内容 |
|---|---|
| 痛みへの対応 | オピオイド(医療用麻薬)・神経ブロックなど |
| 呼吸困難 | 酸素療法・モルヒネ(呼吸困難緩和に有効) |
| 食欲不振・倦怠感 | 薬物療法・栄養管理・原因の除去 |
| 不眠・不安 | 睡眠薬・抗不安薬・心理的支援 |
| 嘔気・嘔吐 | 制吐剤・原因対処 |
| 便秘 | 緩下剤・坐薬・浣腸 |
| 皮膚トラブル | スキンケア・体位の工夫 |
| 心のケア | 医師・看護師・心理士による傾聴 |
| 家族支援 | 介護指導・経済相談・グリーフケア |
緩和ケア医・緩和ケアチーム・訪問看護師など、多職種が連携して支える医療です。
4. 「BSC=あと少し」ではない
BSCを選ぶと「もう長くない」と感じる方が多いですが、それは必ずしも正しくありません。
実際、BSCに切り替えてから数ヶ月〜1年以上穏やかに過ごされる方も多くいます。むしろ、副作用に苦しむ抗がん剤を中止することで、体調が改善し、活動的になるケースもあります。
過去の研究(Temel JS, NEJM 2010)では、早期から緩和ケアを受けた患者さんの方が、抗がん剤治療を続けた患者さんよりも生存期間が長かったという報告すらあります。
→ 詳しくは別記事「緩和ケアはいつから始めるべきか」も参考にしてください。
5. BSCを選ぶことは前向きな選択
「治療を続けない」という選択は、決して敗北ではありません。
- 残された時間を自分らしく過ごすための選択
- 家族との大切な時間を取り戻すための選択
- 苦痛のない最期を迎えるための選択
これらは、しっかり考えた末の積極的な意思表示です。
6. 担当医にこう聞いてみてください
「もう治療法がない」と言われたとき、こう質問してみてください。
- 「これからは緩和ケアを中心に進めるという理解でよいですか?」
- 「症状を和らげるために、どんなことができますか?」
- 「在宅と入院、どちらの選択肢がありますか?」
- 「家族として何を準備すればよいですか?」
「何もできない」と言う医師はいません。目的を変えれば、できることはまだたくさんある——それを共有することが大切です。
7. 家族へ——「治療をやめる」を受け入れる難しさ
患者さん本人がBSCを希望しても、家族が「もう少し治療を続けてほしい」と願うことはよくあります。
その気持ちは当然のものです。ただ、患者さん本人の意思を尊重することも、大切な愛情の形です。
担当医・緩和ケアチーム・がん相談支援センターと一緒に、家族として何を支えられるかを考えてみてください。一人で抱え込まず、専門職の力を借りていいのです。
→ 詳しくは別記事「家族ができること——そばにいるだけでいい」もご覧ください。
まとめ
- BSC(最善支持療法)は「何もしない」ではない
- がんを抑えることから、つらさを和らげることに目的を変える医療
- 多職種が積極的に関わる、立派な医療行為
- BSCに移行しても数ヶ月〜1年以上穏やかに過ごせるケースも多い
- 「治療をやめる」は前向きで積極的な選択になり得る
「もう治療しない」と言われた瞬間、世界が崩れるように感じるかもしれません。でも、そこから始まる新しい医療の形があります。担当医・緩和ケア医と一緒に、その道を歩んでいきましょう。
筆者:田舎の県庁所在地に住む医師。外科学会専門医・乳癌学会認定医。現在は乳がんの検診・診断と緩和ケアを専門に担当。医師になって20年。