「食べられなくなってきたので、点滴をしましょうか」
——こう聞かれたとき、多くのご家族は、それほど長くは迷いません。とりあえず様子を見ましょう、という気持ちで始まることが多いと思います。
ところが、いったん始まったものについて「そろそろやめましょうか」と話し合うとき、同じようにはいきません。切り出すこと自体が、とても難しくなります。
始めるときと、やめるとき。**医療の考え方の上では、同じことを問うているはずです。**それなのに、決める人にとっての重さは、まったく違う。
この記事は、なぜそうなるのか、そしてどうすれば少しだけ楽になるのかの話です。
1. 医学的には、同じ問いのはずなのに
「始めるかどうか」と、「続けるかどうか」。
この2つは、実はまったく同じことを問うています。すなわち——いま、この人にとって、それは益になっているか。
医療の考え方の上では、この2つに差はありません。ところが、ご家族の受け取り方は、まるで違います。
| 家族が感じること | |
|---|---|
| 始めない | 「しない」=ひとまず様子を見る |
| やめる | 「取り上げる」=自分たちが決めて、終わらせる |
同じ判断が、まったく違う重さで届く。ここが、すべての出発点です。
2. なぜ「やめる」方が、重く感じるのか
これは、ご家族が弱いからでも、覚悟が足りないからでもありません。人間の心の仕組みとして、誰にでも起きることです。
「したこと」は、「しなかったこと」より重く感じる
人には、自分が何かをして起きた結果を、何もしなかったために起きた結果より重く受け止める傾向があります。
「始めなかった」なら、成り行きに任せた気がする。「やめた」なら、自分が手を下した気がする。医学的には同じでも、心の中では別のことが起きています。
始めた時点で、それが「普通」になる
もうひとつ。何かが続いている状態は、そのうち「当たり前の状態」になります。
すると、やめることの方が「変更」になる。そして変更する側には、説明する責任が生まれてしまう。「なぜやめるのか」は問われても、「なぜ続けるのか」は問われません。
この2つは、医療倫理の議論でも知られている現象です。専門家の間では「差し控えることと中止することに、倫理的な差はない」というのが標準的な考え方とされています。それでも、実際に決める人の心にとっては、まったく違う。この落差が、現場の苦しさの正体です。
専門家も、この重さと格闘してきました
ひとつ、象徴的な話があります。
日本老年医学会は2012年の文書で、治療を終えることを「治療からの撤退」と表現していました。ところが2025年の文書では、この言葉を「終了」に改めています。
理由はこう説明されています。適切な話し合いを重ね、その結果として治療を終える選択がなされたのなら、それは「撤退」と呼ぶべき状況ではない、と。
**同じ行為を指す言葉を、13年かけて変えた。**言葉の重さが判断を歪めることを、専門家の側も分かっているということだと思います。
意見が割れやすい
そしてもうひとつ、現実的な問題があります。経過をずっと見てきた人と、途中から来た人とでは、見えているものが違うということです。
久しぶりに会った親族が「まだやれることがあるのでは」と言う。その言葉に、毎日付き添ってきた家族が何も言えなくなる。続ける方向には、いつでも簡単に戻れてしまいます。
3. だから、最初の話し合いが決定的になる
ここまでをまとめると、こうなります。
やめる決断は、始める決断より、はるかに重い。 ならば、重さが軽いうちに——つまり「始めるとき」に、決めておくしかない。
「どうなったら、見直すか」を、同時に決める
始めるかどうかを話し合うとき、もうひとつだけ、一緒に決めておくことをおすすめします。
「どうなったら、もう一度話し合いますか」
たとえば——「2週間続けてみて、目を開けて反応する時間が増えなければ、もう一度みんなで話し合う」。そんなふうに、最初に区切りを決めておく。
これには、大きな効果があります。
やめる話が、「誰かが言い出す話」ではなくなるのです。あらかじめ決めた約束の見直しになる。「お母さんを見捨てるのか」という話ではなく、「最初に決めたとおり、もう一度考える時期が来ましたね」という話になります。
これは、「始めたらやめられない」を防ぐ、有効な方法のひとつです。
この考え方には、名前がついています
実は、これは思いつきの工夫ではありません。医療の世界では「time-limited trial(TLT)」と呼ばれ、日本老年医学会が2025年にまとめた文書のなかで、こう定義されています。
治療効果の判断に迷いがある場合に、効果を確認するために、一定の期間、治療を試行すること。本人の望む効果が得られない場合や医学的な治療効果が認められない場合は、緩和ケアを尽くしつつ、その治療を終了することが前提とされている。
そして、こうも書かれています。人工呼吸器などの負担の重い治療に使われることが多いが、経管栄養法(胃ろうなど)を含め、あらゆる治療法に適用できる、と。
つまり、「期間を区切って試してみる」というやり方は、胃ろうや点滴にも、はっきり使えるものとして認められています。
日本のガイドラインにも、書かれています
「一度始めたものをやめるなんて、許されるのか」——そう感じる方も多いと思います。
日本老年医学会が2012年にまとめた、人工的な水分・栄養補給についての意思決定のガイドラインには、こう書かれています。
- 導入を検討するときは、「導入しない」という選択肢も含めて示し、それぞれが本人の生活にもたらす益と害を理解したうえで考えられるようにする
- 導入した後も、継続的にその効果と本人にとっての益を評価する
- 全身状態の悪化などで本人にとって益とならなくなった場合、あるいは益かどうか疑わしくなった場合には、中止または減量を検討する
つまり、「見直すこと」も「やめること」も、最初から想定された選択肢として書かれています。特別なことでも、非情なことでもありません。
同じガイドラインには、こうも書かれています。人工的な栄養補給が、延命にも、快適に過ごすことにも、どちらにもつながる見込みがない場合、それはかえって本人にとって害となり、人生の最期を歪めることになる、と。
そしてこれは、ご家族だけの話ではありません
ここまで、決めるご家族の心の重さについて書いてきました。ですが、同じ心理は医療者の側にもあります。
先ほどの2025年の文書は、そこにはっきり踏み込んでいます。要点はこうです。
一度始めた治療を終えることを、医師も難しく感じる。だから「あとでやめられないくらいなら、最初から始めないでおこう」という対応が起きてしまう。
そして学会は、これを厳しい言葉で戒めています。それでは本人の回復する可能性を活かせず、医療倫理に反する、と。
ここに、この記事でいちばんお伝えしたいことがあります。
「やめる話をしやすくしておくこと」は、「始める話をしやすくすること」でもあります。
やめられないと思うから、始められない。逆に、「合わなければ見直せる」と最初に分かっていれば、試してみることができる。
見直しの約束をしておくのは、治療を減らすための仕掛けではありません。必要な治療を、ためらわずに始められるようにするための仕掛けでもあるのです。
4. 弱っていく体に、栄養は何をしているのか
ここは、誤解が起きやすいところなので、慎重に書きます。
「栄養や水分を入れれば、元気になる」——これは、いつでも成り立つわけではありません。
人生の最終段階に近づくと、体は入ってきたものをうまく使えなくなっていきます。使われなかった水分は、行き場をなくして体に溜まります。
その結果として起きうるのが、むくみ、お腹や胸に水が溜まること、痰が増えて呼吸が苦しくなることです。
日本緩和医療学会の輸液療法についてのガイドラインでも、終末期のがん患者さんについて、むくみ・胸水・腹水を悪化させないことを目的とする場合には、輸液の量を抑えることが望ましいとする研究が取り上げられています。
⚠️ ただし、ここを短絡させないでください。
- これはがんの終末期についてのガイドラインです。老衰や認知症の経過に、そのまま当てはめることはできません
- そして何より、**「だから栄養は入れない方がいい」という話ではありません。**胃ろうも点滴も、合う人には、はっきり合います。口から食べられない時期を乗り越えて、また食べられるようになる方もいます
問うべきは「良いか悪いか」ではなく、「いま、この人にとって、益になっているか」です。そして、その答えは時間とともに変わります。だからこそ、3章の「見直し」が必要になります。
5. がんの治療にも、まったく同じ構造があります
ここまで、人工栄養を例に書いてきました。でも、この非対称性は、がんの治療でもそのまま起こります。
抗がん剤を始めるとき、多くの方はそれほど迷いません。ところが、やめる話になると、途端に重くなる。
「やめる=見捨てる」「やめる=あきらめる」と感じてしまう。始めるときには誰も「見捨てる」とは考えないのに、です。
同じ判断のはずなのに、片方だけがこんなに重い。構造は、点滴のときとまったく同じです。
6. 決めるときに、持っておくと楽になる考え方
決めるのは「治療をどうするか」ではありません
ご家族が背負い込みやすいのは、**「私が決めていいのか」**という問いです。
でも、決めていただきたいのは「治療をどうするか」ではありません。
「本人だったら、どう言うと思いますか」
これは、あなたの判断ではなく、本人の意思を思い出す作業です。答えを出すのはご本人で、ご家族はその通訳をする。そう考えると、少しだけ肩の荷が下りるかもしれません。
一人で決めない——本人の言葉を持っている人は、意外なところにいる
そして、これは強くお伝えしたいことです。医師と家族だけで決めないでください。
日常的にケアに入っている人——訪問看護師、介護職員、ケアマネジャー、リハビリのスタッフ。こうした方々は、診察室では出てこない本人の言葉を持っていることがあります。「前にこんなことをおっしゃっていましたよ」という一言が、迷いを解くことは少なくありません。
先ほどのガイドラインも、家族の気持ちや介護の環境によって選択が左右されることは実際にしばしばあると、率直に認めています。そのうえで、その範囲のなかで本人にとっての最善を探し、家族の負担も許容できる程度に抑える道を探すことを求めています。
家族の事情を考えることは、後ろめたいことではありません。
どの選択も、正当です
始めるという選択も、始めないという選択も、続けるという選択も、やめるという選択も。本人の人生にとって何が最善かを、みんなで考えた末に出した答えなら、どれも正当です。
この記事は、特定の結論をおすすめするものではありません。
まとめ
- **「始めるかどうか」と「やめるかどうか」は、医学的には同じ問い。**でも、家族にとっての重さはまったく違う
- **やめる方が重く感じるのは、心の仕組みとして自然なこと。**覚悟の問題ではありません
- だからこそ、始めるときに「どうなったら見直すか」を一緒に決めておく。これが「始めたらやめられない」を防ぐ現実的な方法
- 日本のガイドラインにも、見直すことと中止することは選択肢として書かれています
- 弱っていく体に栄養を入れることは、益になることも、負担になることもある。答えは時間とともに変わる
- **「やめる話をしやすくすること」は、「始める話をしやすくすること」でもあります。**やめられないと思うから、始められなくなる
- がんの治療でも、まったく同じ構造が起こります
決めるのは、あなたの判断ではありません。本人だったら何と言うかを、関わっている人たちみんなで思い出す作業です。
そして、どうか一人で背負わないでください。
参考情報源
- 日本老年医学会「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン——人工的水分・栄養補給の導入を中心として」(2012年6月27日)※PDF
- 日本老年医学会「高齢者の人生の最終段階における医療・ケアに関する立場表明2025」※PDF(TLTの定義、および「撤退」から「終了」への表現変更について)
- 日本緩和医療学会「終末期がん患者の輸液療法に関するガイドライン(2013年版)」※PDF
- 「差し控え」と「中止」の心理的な差については、The status quo bias and decisions to withdraw life-sustaining treatment(CMAJ 2018)を参照しました ※英文
※本記事は、在宅医療に長く携わる医師による議論をもとに、筆者の臨床経験を加えてまとめたものです。
筆者:田舎の県庁所在地に住む医師。外科学会専門医・乳癌学会認定医。現在は乳がんの検診・診断と緩和ケアを専門に担当。医師になって20年。