「転移って、どういうことですか」
診察室でよく聞かれる質問のひとつです。時間をとってご説明していますが、その場で一度に聞き取るには、少し込み入った話でもあります。
そこで、診察室でお伝えしていることを、あとから読み返せる形にまとめておくことにしました。
この記事を読んでも、治療方針が変わるわけではありません。「体の中で何が起きているのか」を知るための記事です。それが必要ない方は、読まなくてまったく問題ありません。
なお、転移がどこに起きやすいか、見つかったらどう向き合うかは、別の記事にまとめています。そちらを先に読んでいただいた方が役に立つかもしれません。
1. 転移とは、何が起きていることか
「広がった」のではなく、「離れて、新しく増え始めた」
「転移」と聞くと、多くの方がもとのがんが大きくなって、じわじわと周りに広がっていった姿を思い浮かべます。
でも、遠くの臓器への転移で起きているのは、そういうことではありません。
がん細胞が、もとの場所から離れて、血液やリンパの流れに乗って移動し、別の場所で新しく増え始めた。もとの場所とはつながっていません。飛び火に近いイメージです。
骨に転移した乳がんは、「骨のがん」ではありません
ここが、いちばんお伝えしたいところです。
乳がんが骨に転移したとき、その骨にあるのは乳がんの細胞です。顕微鏡でのぞいても、乳がんの顔つきをしています。骨から新しく発生したがんではありません。
だから、治療は乳がんの治療を続けます。
「骨に転移したのに、どうして乳がんの薬なんですか」と聞かれることがありますが、答えはここにあります。場所が変わっても、相手は最初から最後まで乳がんだからです。
これは肺でも肝臓でも同じです。肺に転移した乳がんは「肺がん」ではありませんし、肺がんの治療をするわけでもありません。
骨転移そのものの症状や治療については、乳がんの骨転移——痛み・骨折とどう向き合うか にまとめています。
2. どうやって、そこへ行くのか
がん細胞は、血液の流れとリンパの流れに乗って移動します。
では、流れ着いた細胞はその後どうなるのか。ここは人の体で直接数えることができないので、動物実験で調べられてきました。マウスにがん細胞を注射して、一つひとつの細胞を追いかけた研究があります。
その結果は、少し意外なものでした。
| 段階 | そこまで到達した割合 |
|---|---|
| 血流を生き延びて、血管の外へ出る | 約8割 |
| そこから、小さなかたまりを作る | 約2% |
| さらに、目に見える大きさまで育つ | 約0.02% |
血管の外に出るところまでは、多くの細胞が到達していました。
細胞が止まるのは、その先でした。血管の外に出た細胞の多くは、増えることも死ぬこともなく、そのまま眠ったように留まっていた——実験ではおよそ3分の1の細胞が、13日たっても単独のまま眠っていました。
つまり、転移が成立しにくいのは「たどり着けないから」ではなく、「着いた先で増え始められないから」でした。
このことは、あとの話につながってきます。どこに着くかより、どこでなら育てるかが問題なのだ、という話です。
⚠️ ただしこれは、マウスに特定のがん細胞を注射した実験の結果です。人の乳がんが自然に転移していく過程を測ったものではありません。「そういう傾向がある」という程度に受け取ってください。
血液を調べれば、早く分かるのでは?
ここまで読むと、こう思われるかもしれません。がん細胞が血の中を流れているのなら、その血を調べれば、転移を早く捕まえられるのではないか。
実際に、その研究が進んでいます。ただし2026年現在、日本の保険診療では使えません。期待できることと、まだ言えないことがはっきり分かれている分野です。
3. 行き先に偏りがあるのは、なぜか
乳がんの転移先には、はっきりした偏りがあります(頻度は別記事にまとめています)。ではなぜ、そこなのか。
昔から言われてきた説明は、とてもシンプルです。流れが遅くなるところ、細くなるところで引っかかる。
- 肺:全身をめぐった血液が、心臓を通って最初にたどり着く毛細血管は肺にあります。順番の問題です
- 肝臓:胃や腸からの血液は、必ず肝臓を通ります。ここも「最初のフィルター」です
- 骨:転移が多いのは背骨・骨盤・肋骨など、赤い骨髄がある場所です。ここは血管の作りが粗く、流れがゆっくりになります
- リンパ節:リンパ液が最初に流れ込む「部屋」があります。センチネルリンパ節生検は、まさにこの「最初に着く場所」という考え方の上に成り立っています
- 脳:脳は例外的に血流が速い臓器です。それでも転移が多いのは、血管の太さが急に変わる場所(灰白質と白質の境目)と、血流の行き止まりにあたる領域。1996年の報告が、2025年に1万3千例以上を集めた解析で改めて確かめられています
ここまでで、乳がんの転移先の主なところは、ほぼ説明がついてしまいます。100年以上前に考えられた説明が、今でもかなりよく当たっているわけです。
4. ところが、それだけでは説明できない
ただ、この説明には穴があります。血がたくさん流れているのに、転移がほとんど来ない場所があるのです。
脾臓は、血の巡りが豊富で、しかも血液の中の古くなった細胞を処理するのが仕事の臓器です。それなのに、転移はまれです。理由については、免疫細胞が密集していることが関係するのではないか、といった考えがありますが、まだよく分かっていません。
骨格筋も同じです。筋肉は体重のかなりの部分を占め、血も流れています。それでも転移はほとんど見ません。
心臓に至っては、ほとんど来ません。
つまり——着くことと、そこで育つことは、別の話なのです。
そして、この「脾臓の謎」は、今になって見つかったことではありません。137年前に、すでに指摘されていました。
5. 種と土——1889年に出された問い
この「別の話」に最初に気づいたのは、137年前のイギリスの外科医でした。
1889年、彼は乳がんで亡くなった735人の記録を集め、どの臓器に転移していたかを一つひとつ数え上げました。そして気づきます。**臓器に流れ込む血の量と、転移の多さが、釣り合っていない。**肝臓や卵巣、特定の骨には多いのに、脾臓には少ない——彼はそのことをはっきり書き残しています。
だから彼は、こう考えました。
種は風に乗ってどこにでも飛ぶ。けれど、芽を出せる土は選ぶ。
「種と土」と呼ばれる考え方です。長いあいだ、うまい比喩ではあるけれど確かめようがない、という位置づけでした。それが近年、少しずつ分子のレベルで埋まってきています。分かってきたことは、おおまかに3つです。
① くっつく相手が決まっている がん細胞の表面と、臓器の血管の内側に、鍵と鍵穴のような組み合わせがあります。合う場所でだけ、細胞は足を止められます。
② 呼ばれている 特定の臓器が出している物質に、がん細胞が引き寄せられていく——という報告があります。しかもこれは、乳がんを材料に示されたものでした。この物質が多いのは、肺・肝臓・骨髄・リンパ節。乳がんが転移しやすい場所と、きれいに重なります。
③ 先回りされている そして、いちばん意外なのがこれです。がん細胞が到着する前に、もとのがんから送り出された小さな袋が行き先の臓器に届き、受け入れの準備を整えてしまう——という報告があります。袋の表面にある分子の組み合わせによって、肺へ行くか肝臓へ行くかが変わる、というところまで示されています。
もしこれが本当なら、私たちのイメージは順序が逆だったことになります。
流れ着いたから育つのではなく、育つように土を耕してから、行く。
6. コラム:心臓には、なぜがんができないのか
この記事を書こうと思ったきっかけは、2026年4月に報告された、ある研究でした。
心臓に原発性のがんができることは、きわめてまれです。この理由が長いあいだ説明できずにいました。
研究チームは、マウスの首に別の心臓を移植するという方法をとりました。この心臓は血は通っているけれど、拍動していない。「血が流れているかどうか」と「動いているかどうか」を切り離すための工夫です。
結果、動いていない心臓ではがん細胞が増え、動いている心臓では増えにくかった。
さらに、その仕組みまで踏み込んでいます。細胞にかかる機械的な力が、細胞の表面から核まで伝わり、DNAの巻き取りを固く締める。その結果、増殖に関わる遺伝子が働きにくくなる。力を伝える役目のタンパクの働きを止めると、動いている心臓の中でもがん細胞は増え始めたそうです。
心臓と骨格筋——転移がほとんど来ない場所には、絶えず動いているという共通点があります。それが答えなのかもしれない、という段階まで来ました。
ただし、これは2026年に出たばかりの、1本の報告です。マウスと、人の細胞から作った心臓組織で確かめられたもので、患者さんを対象にした研究ではありません。他の研究チームが同じ結果を確かめるのは、これからです。
7. 知っておくと、役に立つこと
定期検査で見ているものには、理由があります。 術後の経過観察で骨・肺・肝臓が話題になりやすいのは、やみくもに全身を探しているからではありません。行き先に偏りがあることが分かっているからです。
「転移した=全身にばらまかれた」ではありません。 飛び火はしますが、どこにでも根づくわけではない。むしろ根づけないことの方がずっと多い、というのが今のところの理解です。
⚠️ そして、ここは誤解しないでください。 「動いている臓器には転移しにくい」という話は、「運動すれば転移を防げる」という意味ではありません。心臓や筋肉の内部で起きていることを、体全体の話に広げられる段階にはまったく至っていません。
こうした研究は、見出しになるときに一段階飛び越えて伝わりがちです。「〇〇するとがんが防げる」という形の話を見かけたときは、それが人で確かめられたことなのか、動物実験なのか、細胞の実験なのかを確かめてみてください。この記事の内容も、その大半は動物実験の段階です。
どこまで分かっていて、どこからが分かっていないのか。最後に一覧にしておきます。
この記事は、どこまで分かっていることを書いたか
| 内容 | どこまで分かっているか | 根拠 |
|---|---|---|
| 転移はもとの場所と連続していない/骨転移した乳がんは乳がんのまま | 確立している | 診療の基本。議論の余地はありません |
| 肺・肝は最初の毛細血管/骨は赤い骨髄/脳は血管が細くなる境目 | 確立している | 解剖と、1996年および2025年の解析 |
| 8割が血管の外へ出る/2%がかたまりを作る/0.02%が育つ | 動物実験では確立。人では未検証 | マウスに特定のがん細胞を注射した実験 |
| くっつく/呼ばれる/先回りされる(種と土の分子) | 報告されている段階 | 2001年・2015年の報告。治療には結びついていません |
| 心臓が動いているとがんが増えにくい | 2026年の報告1本のみ | マウスと人の細胞から作った組織。追試はこれから |
| 脾臓や骨格筋に転移が来ない理由 | 仮説の段階 | 有力な候補があるだけで、確かめられていません |
この表は、記事の弱点をさらすためのものではありません。「どこまで言えるか」を書き分けておかないと、いちばん確かなこと(骨転移した乳がんは乳がん)まで、頼りない話に見えてしまうからです。
医学の記事を読むときは、いつでもこの区別を探してみてください。
まとめ
- 転移とは、がんがもとの場所から離れて、別の場所で新しく増え始めたこと
- 骨に転移した乳がんは「骨のがん」ではない。だから乳がんの治療を続ける
- 動物実験では、血管の外に出るところまでは8割が到達する。そこから先へ進める細胞はごく一部
- 転移先に偏りがあるのは、流れが遅くなる場所と、育てる土がある場所の両方で決まる
- 心臓や筋肉に転移が来ない理由は、まだ答えの途中
分かっていないことの方が、まだたくさんあります。それでも、「どうしてここに来たのか」という問いに、少しずつ答えられるようになってきました。
答えが出たからといって、明日の治療が変わるわけではありません。それでも、理由が分かること自体に意味がある場面は、確かにあると思っています。
参考情報源
※いずれも英文の原著論文です。該当ページに直接リンクしています。
- Paget S. The distribution of secondary growths in cancer of the breast. The Lancet 1889;133:571-573.
- Luzzi KJ, et al. Multistep Nature of Metastatic Inefficiency: Dormancy of Solitary Cells after Successful Extravasation and Limited Survival of Early Micrometastases. American Journal of Pathology 1998;153:865-873.
- Müller A, et al. Involvement of chemokine receptors in breast cancer metastasis. Nature 2001;410:50-56.
- Hoshino A, et al. Tumour exosome integrins determine organotropic metastasis. Nature 2015;527:329-335.
- Hwang TL, et al. Predilection of brain metastasis in gray and white matter junction and vascular border zones. Cancer 1996;77:1551-1555.
- Multi-institutional atlas of brain metastases informs spatial modeling for precision imaging and personalized therapy. Nature Communications 2025.
- Ciucci G, et al. Mechanical load inhibits cancer growth in mouse and human hearts. Science 2026;392:eads9412.
筆者:田舎の県庁所在地に住む医師。外科学会専門医・乳癌学会認定医。現在は乳がんの検診・診断と緩和ケアを専門に担当。医師になって20年。