「トリプルネガティブ乳がんです」と言われて家に帰り、スマートフォンで検索して、さらに不安になった——そういう方に、いちばん読んでほしい記事です。
「トリプルネガティブ」という響きには、どこか突き放されたような、重い印象があります。ネットで調べると「予後が悪い」「悪性度が高い」といった言葉が並び、頭が真っ白になってしまうこともあると思います。でも、そこで検索をやめてしまうのは、とてももったいないことです。
この記事では、乳がん診療に20年携わってきた立場から、トリプルネガティブ乳がんとは何か、なぜ「怖い」と言われるのか、そして実際にはどんな治療でどこまで戦えるのかを、落ち着いて整理します。名前の印象だけで判断しないための材料にしてください。
トリプルネガティブ乳がんとは——「3つが陰性」という意味
乳がんは、がん細胞の「性格」によっていくつかのタイプ(サブタイプ)に分けられます。その性格を決めるのが、病理検査で調べる次の3つの目印です。
| 目印 | 何を見ているか | この目印があると使える治療 |
|---|---|---|
| ホルモン受容体(ER・PgR) | 女性ホルモンで増えやすい性質 | ホルモン療法 |
| HER2 | HER2というタンパクで増えやすい性質 | HER2をねらう薬(分子標的薬) |
トリプルネガティブ乳がんとは、この**ホルモン受容体(エストロゲン受容体・プロゲステロン受容体)とHER2が、いずれも「陰性」**のタイプのことです。「トリプル(3つ)」が「ネガティブ(陰性)」だから、この名前がついています。
参考情報源:国立がん研究センター がん情報サービス「乳がん——特徴」(https://ganjoho.jp/public/cancer/breast/treatment.html#nature)
病理結果の見方そのものについては、別記事「病理結果の「ER・HER2・Ki67」って何?」でくわしく解説しています。あわせて読むと、自分の結果票がぐっと読み解きやすくなります。
なぜ「陰性」が問題になるのか
ここが誤解されやすいところです。「陰性=悪い」ではありません。
ホルモン受容体やHER2は、本来は「がんが増えるスイッチ」です。でも同時に、そのスイッチをねらい撃ちにする薬(ホルモン療法・HER2の薬)が存在する目印でもあります。つまり、これらが「陽性」だと、その分だけ使える飛び道具が多いということなのです。
トリプルネガティブ乳がんは、この2つの飛び道具(ホルモン療法・HER2をねらう薬)が効きにくいタイプです。だから「使える武器が限られる」という意味で、かつては手ごわいとされてきました。
ただし、これはもう昔の話になりつつあります。 後で述べるように、この10年で新しい武器がいくつも登場し、治療の景色は大きく変わりました。
どのくらいの割合で、どんな人に多いのか
- トリプルネガティブ乳がんは、乳がん全体の**およそ10〜15%**を占めます。乳がん全体で見れば少数派で、多数派は「ホルモン受容体陽性」のタイプです
- 比較的若い年代に見つかることが多い傾向があります
- 遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)——なかでもBRCA1という遺伝子の変化を持つ方に、このタイプが多いことが知られています
このBRCAとの関わりは、治療方針にも直結します(後述します)。
「予後が悪い」という言葉を、正しく受け止める
検索して出てくる「予後が悪い」「再発しやすい」という表現に、いちばん傷つくのだと思います。ここは、なるべく正直に、でも誤解のないように整理します。
- 確かにトリプルネガティブ乳がんは、ほかのタイプに比べて、治療後の早い時期(おおよそ最初の数年)に再発が起こりやすい傾向があります。進行が速いこともあります
- 一方で、この「再発しやすい時期」を乗り越えると、その後はむしろ再発が少なくなっていくという特徴があります。ホルモン受容体陽性のタイプが何年も経ってから再発することがあるのとは、時間の流れ方が違うのです
- そして何より、トリプルネガティブ乳がんは抗がん剤がよく効くタイプです。手術前に抗がん剤を行うと、手術のときにがん細胞が見つからなくなる(=よく効いた状態)方が一定の割合でいます。術前治療が効いた方の見通しは良好です
つまり、「予後が悪い」はタイプ全体をならした平均の話であって、あなた一人の運命ではありません。ステージ(進み具合)、治療への効き方によって、見通しは大きく変わります。数字の平均に、自分を当てはめて絶望する必要はありません。
治療——抗がん剤が「主役」、でもそれだけではない
ホルモン療法やHER2の薬が効きにくいぶん、トリプルネガティブ乳がんの治療は抗がん剤(細胞障害性抗がん薬)が中心になります。そして近年、そこに新しい仲間が加わりました。
| 治療 | どんなもの | 主に使う場面 |
|---|---|---|
| 抗がん剤 | 治療の柱。よく効くタイプ | 手術前・手術後 |
| 免疫療法(免疫チェックポイント阻害薬) | 自分の免疫にがんを攻撃させる薬。抗がん剤と併用 | 再発リスクの高い早期/一部の進行・再発 |
| ADC(抗体薬物複合体) | がん細胞に薬を狙って届ける「精密誘導ミサイル」型の薬 | 進行・再発 |
| PARP阻害薬 | BRCAの変化を持つ方に効く飲み薬 | BRCAに変化がある場合 |
参考情報源:国立がん研究センター がん情報サービス「乳がん——薬物療法」(https://ganjoho.jp/public/cancer/breast/treatment.html#drug_therapy_hormone)
少しだけ補足します。
- 免疫療法:再発リスクの高い早期のトリプルネガティブ乳がんでは、手術の前後に抗がん剤と免疫チェックポイント阻害薬を組み合わせる治療が、日本でも標準的な選択肢になっています。大規模な国際試験で、再発や死亡のリスクを下げることが示されました
- ADC:がん細胞の目印にくっつく「抗体」に抗がん剤を結合させ、がんにピンポイントで薬を届ける新しいタイプの薬です。進行・再発のトリプルネガティブ乳がんで使えるものが登場しています
- PARP阻害薬:BRCA遺伝子に変化がある方に効きやすい飲み薬です
これらはいずれも、日本の公的医療保険で使える治療です(対象になる条件は決まっています)。「使える武器が限られる」と言われた時代から、確実に前へ進んでいます。
なお、抗がん剤の副作用(脱毛・手足のしびれなど)とのつき合い方は、別記事も参考にしてください。
「遺伝子検査(BRCA)を勧められました」——なぜ?
トリプルネガティブ乳がんと診断されると、BRCA1/2という遺伝子を調べる検査(BRCA遺伝学的検査)を勧められることがあります。「遺伝」という言葉に身構えてしまうかもしれませんが、これにはあなた自身の治療に直結する、はっきりした理由があります。
- 使える薬が変わる——BRCAに変化があれば、前述のPARP阻害薬という選択肢が加わります
- もう片方の乳房・卵巣のケアにつながる——HBOCと分かれば、将来のリスクに備えた検診や予防の相談ができます
- 血縁者の健康にもかかわる情報になる——ご家族の検診の参考になることがあります
トリプルネガティブ乳がんの方は、一定の条件を満たせばこの検査が保険で受けられます。くわしくは別記事で解説しています。
不安なとき、次にできること
診断を聞いた直後は、頭が働かなくて当然です。焦って全部を理解しようとしなくて大丈夫です。まずは、次の一歩だけを考えてください。
- わからないことは、遠慮なく担当医に聞く——「このタイプで、私の場合はどんな治療になりますか」「手術が先ですか、薬が先ですか」。素朴な質問でかまいません
- 納得できないとき、迷うときはセカンドオピニオン——別の医師の意見を聞くことは、担当医への不信ではありません。当然の権利です(乳がん診断後のセカンドオピニオン)。昭和の昔ならともかく、令和のいまだにセカンドオピニオンを嫌がる医師がいたら、それはもう絶滅危惧種レベルの化石です。あなたの命がかかっているのに、そんな医師の機嫌をうかがう義理はありません。嫌な顔をされたら、それこそ「この医師で大丈夫か」を考え直すサイン。迷わず別の医師を探しましょう
- 一人で抱えない——多くのがん診療病院に「がん相談支援センター」があり、その病院にかかっていなくても無料で相談できます
まとめ
- トリプルネガティブ乳がんとは、ホルモン受容体(ER・PgR)とHER2の3つが陰性のタイプ。乳がん全体の約10〜15%
- 「陰性」は「悪い」ではなく、ホルモン療法・HER2の薬という飛び道具が効きにくいという意味
- 「予後が悪い」はタイプ全体の平均の話。早い時期の再発を乗り越えると、その後はむしろ落ち着く。抗がん剤がよく効くタイプでもある
- 治療は抗がん剤が主役。加えて免疫療法・ADC・PARP阻害薬が登場し、いずれも日本で保険適用。武器は着実に増えている
- BRCA遺伝子検査を勧められるのは、使える薬や今後のケアに直結するから。条件を満たせば保険で受けられる
名前の響きに、あなたの見通しが決められているわけではありません。検索して出てくる平均の数字より、あなたのがんの実際の性格と、目の前の治療の効き方のほうが、ずっと大切です。不安なときこそ、検索ではなく担当医に、そしてがん相談支援センターに、言葉にして相談してください。
筆者:田舎の県庁所在地に住む医師。外科学会専門医・乳癌学会認定医。現在は乳がんの検診・診断と緩和ケアを専門に担当。医師になって20年。