「誰が、どの立場で言っているか」——COI(利益相反)から考える、医療情報の受け取り方
医療の制度について、これまで5本書いてきました。 同じ国で3倍の差——HPVワクチンを「打つ・打たない」の前に知ってほしいこと 帯状疱疹ワクチン、公費で打てるのは「決まった1年度」だけ——年齢の下1桁で確かめる 肺炎球菌ワクチン、公費の機会は「65歳の1年間」だけ——新しいワクチンに変わっても、経過措置は設けられなかった 「そろそろ退院を」と言われる理由——入院の値段は、日数と病棟で決まっている 錆びた釘が危ないのではない——破傷風は「土」と「1968年」で偏る 今回は制度そのものではなく、医療の情報をどう受け取るかの話です。 学会の講演では、スライドの1枚目に「利益相反(COI)の開示」というページが出てきます。医学論文の最後にも、同じ内容の欄があります。医療者には見慣れたページですが、一般の方は見たことがないか、見ても何のことか分からないと思います。 以前、サプリメントの広告について書いた記事で、広告に出てくる医師が利益相反を開示しているか確かめてほしい、と書きました。ところが、利益相反とは何かを説明した記事は、このブログに1本もありませんでした。今回はその説明です。 この記事で整理するのは、次の3つです。 COIとは何か。そして、COIがあること自体は悪いことではない理由 日本でCOIの開示が厳しく求められるようになったきっかけと、そのあとにできた仕組み COIは、情報を出す人の「立場」のうち、お金の部分を見えるようにしたもの。立場によって、推奨そのものが変わる 1. COIとは何か COIは英語の Conflict of Interest の頭文字で、日本語では「利益相反」と訳されます。 医師や研究者には、果たすべき役目があります。患者さんにとって一番よい治療を選ぶこと、研究の結果を正しく伝えることです。一方で、医師や研究者も、お金や地位、自分の研究の評価といった、別の利益を持っています。 この2つがぶつかるかもしれない状態を、COIと呼びます。 医療から離れた例で考えてみます。サッカーの試合で、審判が片方のチームのスポンサーから報酬を受け取っていたとします。その審判が実際に公平に笛を吹いていたとしても、見ている側は判定のたびに「本当に公平だったのか」と気になります。問題は、不正をしたかどうかの前に、疑われる状態にあることです。 医療で言えば、たとえば次のようなものがCOIにあたります。 製薬企業や医療機器の会社から受け取る講演料・原稿料 企業からの研究費・寄附金 企業の顧問としての報酬 企業の株の保有 COIがあること自体は、悪いことではありません ここが、この記事で一番大事なところです。 新しい薬を作るのは製薬企業です。その薬が本当に効くのかを確かめる臨床試験には、企業の資金や協力が関わります。そして企業は、その分野の第一線にいる医師に、研究や講演を依頼します。 つまり、その病気に詳しい人がCOIを持っているのは、不思議なことではありません。COIがある人の話を全部聞かないことにすると、その分野の専門家の話の多くを聞けなくなります。 問題は、COIが「あること」ではありません。「見えないこと」です。 話している人がどこからお金を受け取っているか分かっていれば、聞く側はそれを頭に置いて話を聞けます。分からなければ、そもそも気をつけようがありません。 だから、COIは「なくす」ものではなく、「見えるようにする(開示する)」ものとして、仕組みが作られてきました。 2. 日本の転機——ディオバン事件 日本でCOIの開示が厳しく問われるようになったきっかけは、2013年に大きく報道された、降圧薬ディオバン(一般名バルサルタン)の臨床研究をめぐる問題です。以下は、厚生労働省の検討委員会が2014年4月にまとめた報告書をもとにしています。 何があったか ディオバンは、2000年に日本で承認された血圧の薬です。承認後の2002年以降、5つの大学(東京慈恵会医科大学・千葉大学・滋賀医科大学・京都府立医科大学・名古屋大学)で、ディオバンとほかの血圧の薬を比べる臨床研究が行われました。 このうち東京慈恵会医科大学と京都府立医科大学の研究は、「ディオバンを使ったグループでは、脳卒中や狭心症などが少なかった」という結論を出し、Lancet などの国際的な医学雑誌に載りました。 ところが、2012年に研究に関わっていない外部の医師が、論文の血圧の値に疑問を指摘します。そこから問題が明らかになっていきました。 時期 出来事 2012年 研究に関わっていない外部の医師が、論文の血圧値に疑問を指摘。12月以降、京都府立医科大学の論文が相次いで撤回される 2013年5月 製薬会社ノバルティス社の社員が、大学の非常勤講師の肩書きで研究に関わっていたと指摘される 2013年7月 京都府立医科大学・ノバルティス社・東京慈恵会医科大学が、それぞれ内部調査の結果を公表 2013年9月 Lancet が、東京慈恵会医科大学の研究の論文を撤回 報告書は、研究データの人為的な操作によって、事実と異なる結論が導き出されたことが判明した、としています。 何が問題だったのか お金の流れも明らかになりました。ノバルティス社は、東京慈恵会医科大学の講座に総額約1億9千万円、京都府立医科大学の講座に総額約3億8千万円を奨学寄附金として寄付していました。ほかの3大学にも寄付をしています。会社は、この寄附金が今回の研究の支援に使われることを意図し、期待していた、と述べています。 ただ、この記事で注目したいのは、金額よりも次の点です。 研究のデータの統計解析には、ノバルティス社の社員が関わっていました。その社員は論文に、社員としてではなく、別の大学の非常勤講師(無給)の肩書きで名前を載せていました。その大学の調査では、非常勤講師だった約11年間に、講義は1回だけでした。 報告書は、統計解析への社員の関与や、研究者の利益相反について透明性が確保されていなかったことを問題として挙げています。そして、社員一個人というより、実態としては会社として関与していたと判断しています。 つまり、論文を読んだ人には、データを解析したのが薬を売る会社の社員だと分からなかった。1節で書いた「見えないこと」が、そのまま起きていたことになります。 影響は、医療現場まで届いた 報告書によると、撤回された論文は、高血圧の診療ガイドラインに引用されていました。また、会社はこの論文を使った広告を大々的に行いました。その結果、事実と異なる結論が医療現場に広く伝わり、医師の処方に大きな影響を与えたと報告書は述べています。 一つの研究の問題が、ガイドラインと広告を通じて、全国の医師の判断にまで届いた。これが、この事件が重く受け止められた理由です。 なお、問題になったのは、承認されたあとに行われた研究と、その論文の結論です。ディオバンを飲んでいる方は、この話を理由に自分の判断で薬をやめず、気になることがあれば主治医に相談してください。 3. そのあとにできた仕組み 順番に注意が必要なところがあります。COIの開示のルールは、事件の前からありました。 年 仕組み 中身 2011年1月 日本製薬工業協会(製薬協)「企業活動と医療機関等の関係の透明性ガイドライン」 製薬企業が、医師や医療機関に支払ったお金を、各社のサイトで公開する(2013年3月・2018年11月に改定) 2011年 日本医学会「COI管理ガイドライン」 学会での発表などで、COIを開示するルール(その後改定を重ね、現在は2025年版) 2017年4月成立・2018年4月施行 臨床研究法 企業から資金を受けて行う医薬品の臨床研究などを「特定臨床研究」とし、モニタリング・監査などを義務にした 業界や学会の自主的なルールはすでにありました。それでも事件は起きました。そこで、法律で臨床研究の進め方を決めるところまで進みました。 ...